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2011年10月

2011年10月31日 (月)

刈谷市民管弦楽団演奏会に出かけました。

 10月30日刈谷市民オケの演奏会に出かけました。マチネです。新しい総合文化センターの大ホールです。駅から濡れることなく受付に着きます。
曲目はモーツァルトの魔笛序曲、シューマンのピアノ協奏曲、交響曲第3番ラインです。
 プログラムを受け取り、早速目に入ったのが裏表紙の世界共通演奏会マナーというページです。会場に入ったら、予鈴が鳴ったら、演奏が始まったら、演奏が終わったら という具合に説明があります。市民オケのあり方に一つの見識だと思います。市民とともに成長する。という方向が見えて好ましいものだと思うのです。余談ですが20年以上前の話になるがニュ-ヨークへ行ったとき、ホテルで観光案内を見るとコンサートの案内の中にエチケットという欄があって、首を振ってリズムを取るのはやめましょう。とあった。曰く、演奏家は充分練習しているので貴方の手伝いは要りませんよ。というようなことだった。スマートですね。
 本題に戻って、当日のピアノ協奏曲のソリストは20年前にこのオケを聴いて協演を夢見た少女なのです。地方の活動として王道を歩んでいます。
 演奏ですが今夏の節電騒動の中変則勤務のため練習がとてもタイトだったとプログラムでエクスキューズがありました。確かに私には推進力が弱いなと思うところがありましたが、これはどこに由来するのだろうと考えてしまいました。それは指揮者(秋元宏康)の癖なのか指揮棒が打点で止まるのです。裏拍で入る人は辛いかな?とも、若くて立派なキャリアがあるので「?」のままです。ピアノのソリスト(木下恵理)ははやたら大きな音量を求めることなく正確に弾くことに集中していたようです。ただロマン派の曲はもう少し指に力が欲しいように思われます。演奏家を目指すなら間違えてもダイエットなどという言葉にだまされないように。力がないとピアニシモは弾けないのです。
 練習のことはさておいて安定した演奏で楽しめたのは事実です。
刈谷市は車の街です。このホールは東フィル、名フィルなどを聴ける貴重なホールですがそれは文化の消費地で、生産地になるには市民オケのたゆまない努力が欠かせないのです。
 豊橋の老舗オケ、豊田の最強の体制ジュニアオケ、そしてこの刈谷オケ。地方の牽引車です。
 

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2011年10月29日 (土)

早すぎるブラボー!

 先日来気になりだしたことがある。
FM番組でヤナーチェクの”わが生涯”を聴いていたときである。静かに終わる最後のところで余韻をかき消す「ブラボー!」である。その1週間ほど前には名フィルを新鋭川瀬健太郎が振ったマーラーの亡き子を偲ぶ歌でも同じようにブラボー!の声、さすがに番組の解説者が私には違和感があるとチクリとやっていた。
 かつてTBSという不埒な人たちがFM番組の中で私の「ブラボー」が編集で消されている。何事かといってクレームが寄せられたそうだ。これを東京ブラボーソサエティといったそうで訳知り顔をしたい人の困ったチャンでした。まだ元気に生息していたのですね。
 楽譜の最後を見ると休符で終わることが多いのですが、これって分からないですね。
そういえばN響のOb奏者茂木大輔さんがマナーについて本を出しています。読んで面白いこと請け合いです。N響の人に聞くと茂木さんは普段から愉快な人でバスで移動するときでも彼の隣に座ると全く寝られないそうです。こんな目に会って見たいと思うのは私だけでしょうか。
 注)本の名は「拍手のルール」629円+税です。

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2011年10月12日 (水)

CDは週刊誌並み?

 かつて”カラヤン文庫”などといってCDが一枚1200円で発売されていたかと思う。
しかし、昨今はCDが5,6枚で一箱2000円前後などというとんでもない価格で売られている。
だがLPは違う、専門で扱っているレコード店では一枚が500円前後が標準的な価格のようです。近くのリサイクルショップではなんと1枚52円で売られていたがこれはジャンク扱い、検盤は出来る状態ではなく、あらゆるジャンルが箱に混在している、中に掘り出し物もあるのでたまに覗くのだけれど、これは例外的な扱いです。腐っても鯛というのでしょうか。LPは音楽の文化的財産の威厳を保っているといえるのでしょうか。
 それに比べるとCDは軽い、文庫ではなく週刊誌ではないかと最近では思う。箱入りのものなどは一部がコレクションとダブルことがあり。結局一部を聞くだけに終わることが多い。あるいはダブるものは人に分けてしまう。このような扱い方はまるで週刊誌。と思うことがある。
LPはジャケットを見ても思い入れがしっかり入っているように思うのです。LPは文庫としての価値を保っているように思うのは私一人だけでしょうか。針の上げ下げの儀式に意味があるのかもしれません。便利さだけが価値ではないようです。
 毎朝読む新聞も一日たつと新聞紙になるのですね。毎日生産、消費されるものってとても大変。

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