喜波貞子のこと
6月6日の協奏曲の夕を終えた直後、ちょっと骨休みということで長崎に出かけました。グラバー園の中に喜波貞子を紹介している場所がありました。三浦環のことは以前訪れた折、銅像を見て知っていたのですが喜波貞子(きわていこ)は不覚にも知りませんでした、中には以前の舞台の様子がダイジェスト版で大型テレビで見ることができました。舞台の上手に舞台を設け、下手に九響が乗って演奏するというものでした、オケピットが無ければこうするしかないのですね。以前何かの本でこの舞台で使われるドラは実は梵鐘が正しいのではないかという指摘があったのを思い出しました。(パリ万博が根拠)正しい日本を伝えるために努力をいとわなかった先人に頭をたれることしきりでした。蝶々婦人の舞台となった長崎はこれだけでメシが食えるというものです。でも今は龍馬で一杯でした。写真は喜波貞子の展示会場。
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